クレジットカード会社へ訴訟詐欺を主張 東京弁護士会正野嘉人 請求棄却(東京地裁)

 任意整理事務でカード会社の計算ミスを逆手にとり、和解交渉を十分にしなかったうえ、金融庁へ2度通報(棄却)、カード会社担当者に謝罪金を支払わせるなどし、カード会社において依頼人を訴えざるを得なくさせた。訴えに対して訴訟詐欺を主張し、さらにカード会社に対し謝罪金を要求。判決は次のとおり。

 

 

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東京地方裁判所平成15年(ワ)9603号求償金等請求事件

東京地方裁判所平成16年2月3日判決

 

主文

1 被告は,原告に対し,金174万円及びこれに対する平成14年3年1日から支払済みまで年14.4パーセントの割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

3 この判決は仮に執行することができる。

事実及び理由

第1 請求

主文同旨

第2 事案の概要

本件は,原告が,被告との間で,和解契約に基づく和解金の支払と,和解金についての期限の利益を喪失した日の翌日から支払済みまでの約定遅延損害金の支払を求める事案である。

1.前提事実等(証拠を掲げない事実は当事者間に争いがない。)

(1) 当事者

ア  原告は,クレジットカードの取扱いに関する業務並びに金銭貸付及び信用保証業務等を業とする株式会社である(弁論の全趣旨)。

イ  被告は,株式会社A銀行(旧商号株式会社A´銀行)との間で,当座貸越契約を締結するに際し,原告と保証委託契約を締結した者である。

(2)       和解契約の締結

原告と被告は,平成13年12月28日,次の内容の和解契約(以下「本件和解契約」という。)を締結した。

ア  被告の原告に対する支払総額(和解金)を174万円とする(以下「本件和解金」という。)。

イ  被告は,原告に対し,本件和解金を、平成14年1月から毎月末日限り,3万円ずつ58回に分割して支払う。

ウ  被告が,本件和解金の分割払いを2回分以上怠った場合,被告は,期限の利益を失い,原告に対して,本件和解金の残金及びこれに対する期限の利益を喪失した日の翌日から支払済みまで年14.4パーセントの割合による遅延損害金を直ちに支払う。

2 争点

(1)被告は,原告に対して,原告の詐欺等の不法行為を理由とする損害賠償請求権を自働債権として有しているか否か。

ア 被告の主張

(ア)  被告は,平成12年6月ころ,正野嘉人弁護士(以下「正野弁護士」という。)に債務整理を委任し,正野弁護士は,同月16日以降,原告を含む債権者との間で交渉を開始し,平成13年12月25日の時点では,原告との間で,和解金の元本総額については,174万円とすることに話がまとまった。

(イ)a それにもかかわらず,原告は,こっそり和解金総額を増額して正野弁護士を欺こうと企て,平成14年1月24日,和解金総額を175万1880円とする和解書(以下「本件和解書」という。)を作成して,正野弁護士に送付してきた。

b この詐欺行為に気づいた正野弁護士は,直ちに原告に抗議したが,原告は,一旦合意した和解内容を一方的に反故にして,なおも175万1880円の弁済を要求し続けた。

c そこで,正野弁護士は,やむを得ず,原告を関東財務局に告発したところ,平成14年3月11日,原告の管理部課長B(以下「B」という。)他1名が正野弁護士の事務所へ来所し,結局,和解金の元本総額を174万円とすることに同意した。

d その際,Bは,原告を代理して,正野弁護士に対し,原告の前記詐欺行為によって,正野弁護士が余分なやりとりや告発まで余儀なくされたことに対する損害として,3万1500円を賠償する旨約した(以下「本件損害填補契約」という。)。

e しかし,原告は,平成14年3月13日,正野弁護士に対し,本件損害填補契約を一方的に反故にした上,和解金の元本総額を174万円とする和解を迫った。正野弁護士がこれに抗議したところ,原告は,正野弁護士を弁護士法違反の悪徳弁護士であるかのごとく決めつけて非難し弁護士会への懲戒甲立でもするかのような脅しを込めて,和解を強要する文書を送りつけ,さらに正野弁護士がこれに反論しても,原告はその姿勢を改めることがなかった。そのため,正野弁護士は,やむを得ず,再度関東財務局へ原告を告発した。

(ウ)  以上のとおり,正野弁護士は,一旦和解金の元本総額を174万円とすることに合意しながら,こっそり1万1880円を加えた金額の合意書を送りつけて正野弁護士を欺こうとし,その後も,関東財務局に告発されるまでは全く反省のかけらも示さなかった原告側の不法行為により,本来不要な追加交渉や告発等のために余分な手間・時間・費用を費やさせられた。また,原告は,その後も本件損害填補契約を正当な理由もなく反故にした上,正野弁護士が弁護士法違反の利益要求行為をしている旨1年3か月に渡り繰り返し不当に非難し続けたため,正野弁護士は,再度の関東財務局への告発等により,再び余分な手間・時間・費用を無駄にさせられたほか,その名誉感情もいたく傷つけられ,精神的損害を被った。正野弁護士のこの精神的損害を慰謝するためには20万円を下らない金員が必要である。

(エ)  正野弁護士は,被告に,前記損害賠償請求権を譲渡した。

(オ)  被告は,原告に対し,前記損害賠償請求権を自働債権として,本訴請求債権と対等額で相殺する旨の意思表示をした。

イ 原告の反論

(ア)  原告が,正野弁護士を欺いてまで,1万1880円という少額の金銭を編取しようなどと考えるはずがなく,原告が詐欺行為を行ったという被告の主張は否認する。

(イ)  また,本件和解書を見れば,支払総額を175万1880円とする和解契約書であることが一見して明らかであるから,原告が本件和解書を正野弁護士に送付した行為は,人を錯誤に陥らせるような欺罔行為とは認められないから,詐欺行為にあたらない。

(ウ)  さらに,正野弁護士が,Bに対し,本件損害填補契約の締結を要求する行為は,弁護士法26条に違反する行為であるから,その点を指摘したことは,当然かつ正当な行為であり,何ら不当でも違法でもない。

(2)原告の本件訴訟提起が,被告に対する不法行為に該当するか否か。

ア 被告の主張

(ア)  原告は,本件和解契約が成立していることを熟知しながら,これを秘し,本件和解契約によって放棄しているため,本来とれるはずのない本件和解契約成立前の請求権に基づく金員を騙取しようと,情を知らない裁判所に対し,本件訴訟を提起したものであって,本件訴訟提起は訴訟詐欺として不法行為が成立する。

(イ)  また,正野弁護士は,被告の代理人として債務整理のため,13回も取引明細を催促した後,ようやく1年4か月かかって取引明細を提出したのであるから,被告においてその間遅延損害金を支払ういわれはない。したがって,原告の本件訴訟提起は,本来取れない遅延損害金までも取ろうとしたという意味において,訴訟詐欺行為に他ならない。

(ウ)  これにより,被告は,正野弁護士に対し,少なくとも一期日ごとに金1万円の日当の支払いを余儀なくさせられるのであり,それだけの損害を被ることになる。よって,被告は,原告に対し,この損害賠償請求権を自働債権として,本訴請求債権と対等額で相殺する旨の意思表示をした。

イ 原告の反論

(ア)  原告は,被告に対し,本件和解契約の契約書作成を再三に渡って依頼したにもかかわらず,正野弁護士の回答からは,被告が本件和解契約が成立したという認識なのか,成立したとしてもどのような内容であるという認識なのか予測不可能であった。そのため,原告は,本件訴訟提起にあたり,とりあえず本来被告に対して有していた債権を請求し,本件和解契約の成立については被告の主張を待つこととしたのである。

(イ)  そして,被告が本件和解契約と同内容の訴訟上の和解を拒否したため,原告は,本件和解契約の成立を争う余地はあったものの,審理の迅速化のためにこれを認め,その範囲で請求を減縮したにすぎない。

(ウ)  以上によれば,原告の裁判所に対する欺罔行為など何ら存在せず,本件訴訟提起が訴訟詐欺に当たる余地など全くない。

(3)被告と原告との間で,損害填補契約を締結し,それが履行されることが,本件和解契約停止条件とすることを合意したか否か。

ア 被告の主張

(ア)  被告と原告は,平成14年3月11日,本件損害填補契約を締結した。

(イ)  その際,被告と原告は,本件損害填補契約に基づく損害の填補を,本件和解契約停止条件とすることを合意した。

イ 原告の反論

被告の主張は否認する。

(4)原告は,被告に対し,本件損害填補契約に基づく債務の弁済をしたか否か。

ア 原告の主張

(ア)  Bは,平成15年2月17日,正野弁護士に対し,3万1500円(現金3万1000円及び印紙500円)を送付して,本件損害填補契約に基づく債務を弁済した。

(イ)  なお,正野弁護士は,弁護士であるから,500円の印紙を受領すれば,同額の金銭を受領したのと同様の経済的利益を得ることができるから,500円の印紙の送付も,本件損害填補契約の本旨弁済として何ら欠けるところはない。

イ 被告の反論

(ア)  Bは,前記(1)(イ)のとおり,自ら会社を代理して木件損害填補契約を締結しておきながら,後日一方的にこれを反故にしてその事実を否認し,正野弁護士を弁護士法違反の利益要求行為をした旨の非難を加えて,正野弁護士の名誉を段損した不法行為を行っており,これにより正野弁護士の受けた(主として)精神的損害は20万円を下らない。

(イ)  したがって,Bから受領した3万1000円(印紙500円は,換金できず,正野弁護士個人としては使い道もない以上,受領価値はゼロである。)は,その損害賠償の一部として(遅延損害金から優先して)充当した。

(ウ)  よって,本件損害填補契約に基づく債務の弁済はなされていない。

(5)被告は,本件和解契約に基づく本件和解金支払債務について,期限の利益を喪失したか否か。

ア 被告の主張

(ア)  原告は,本件和解契約成立後も,少なくとも平成14年3月11日までは,本件和解金に1万1880円を上乗せして支払うよう要求し続けていたのであるから,それ以前には,本件和解契約の客観的証拠がない以上,善管注意義務を負っている受任者たる正野弁護士としては,被告に,本件和解契約に基づく本件和解金支払を開始させるわけにはいかず,したがって,被告に,本件和解契約に基づく債務の履行義務が生じる余地がない。また,信義則上も,原告が,遅延損害金を請求することは許されないというべきである。

(イ)  また,原告は,本件損害填補契約を締結したにもかかわらず,それを履行せず,正野弁護士が利益要求行為を行ったとの非難を継続したままで,本件和解契約に基づく債務の履行を要求することは,信義則に反するから,被告は未だ遅滞の責めは負わない。

イ 原告の反論

(ア)  被告の主張は否認する。

(イ)  原告が,本件和解金の増額を求めたことは,本件和解契約に基づく本件和解金の分割払いを困難ないし不可能にするものではなく,特に,被告は,原告の本件和解金の増額要求を何ら検討することなく,一貫して拒否し続けていたのであるから,被告が分割金を支払わないことの正当事由となるものではない。

第3 争点に対する判断

1 認定事実

(1)  被告は,正野弁護士に対し,平成12年6月ころ,債務整理を委任し,正野弁護士は,同月16日以降,原告を含む被告の債権者に対して,介入通知を送るとともに,取引明細の開示を求めた(乙1,25。弁論の全趣旨。書証については,特に枝番を示さない限り,枝番があるものは枝番を含む。以下同じ。)。これに対する原告の対応に関して,原告と正野弁護士との間で,原告が取引明細をすべて提示したか否かが争いとなっていた(甲26,27,30から36,54,乙2,3,25,証人C(以下「C」という。),同正野弁護士)。なお,この交渉途中において,原告は,正野弁護士に宛てた平成13年10月1日付のファックス文書の中で,ショッピングの立替金債権として1万1880円(以下「本件立替金債権」という。)がある旨記載して,正野弁護士に対して通知していた(甲32,証人C)。

(2)  そして,正野弁護士から原告に対し,平成13年11月1日付で和解金を174方円とする旨の和解案が提示されたが,その際には,本件立替金債権が和解金額算出の前提としての内訳に記載されていなかった(乙6)

(3)  これに対し,原告の担当者であったCは,本件立替金債権が漏れていることに気づかずに(甲54,証人C),正野弁護士との間で遅延損害金の率等について交渉を重ねた結果,平成13年12月25日,本件和解契約の内容で和解をすることに合意した(甲52,54,乙9,25,証人C)

(4)  その後,Cは,和解契約書を作成しようとした時点で,本件立替金債権が本件和解金に含まれていないことに気づき(甲54,証人C),平成13年12月28日,正野弁護士に対して,ファックスにより,和解金額を1万1880円増額して175万1880円とするよう申し入れたが(甲15,54,乙13,証人C),正野弁護士からは回答がなかった(甲54,証人C)

(5)  そこで,Cは,平成14年1月18日,再度正野弁護士に対し和解金額を1万1880円増額して175万1880円とするよう申し入れるとともに,増額に異論があるようなら連絡して欲しい旨書き添えて,ファックスで送信した(甲15,54,乙13,25,証人C)

(6)  これに対し,正野弁護士は,原告に宛てて,1万1880円の増額には応じられない旨の文言(以下「本件拒絶文書」という。)をファックス送信した(乙23,25,証人正野弁護士)

(7)  その後,Cは,正野弁護士に対し,本件和解書を作成して送付したところ(甲54,乙10,25,証人C),正野弁護士は,Cが正野弁護士を欺罔して,本件和解金を1万1880円増額しようとしたと判断した(乙25,証人正野弁護士,弁論の全趣旨)。そして,正野弁護士からの抗議にもかかわらず,原告が,本件和解金に本件立替金債権を加えるよう要求し続けたことから,正野弁護士は,平成14年3月6日,関東財務局に原告を告発した(甲54,乙12から16,25,証人C)

(8)  平成14年3月8日,Bは,正野弁護士の事務所を訪問し(乙26,証人B),本件和解金に本件立替金債権を上乗せするよう求めたが,正野弁護士がこれを拒否したため,結局,Bも,支払総額を本件和解金とすることに同意した(甲55,乙25,証人B,弁論の全趣旨)

(9)  なお,その際Bは,正野弁護士から,よけいな手間暇がかかり,関東財務局に告発までせざるを得なかったことに対する損害の賠償を求められたことから,正野弁護士に対し,3万1500円を支払う旨約した(甲55,乙25,証人B,同正野弁護士)。

(10)  その後,原告は,顧問弁護士である原告代理人と相談した結果,正野弁護士からの前記3万1500円の要求は,弁護士法に違反するとのアドバイスを受けたことから,正野弁護士に対し,平成14年3月12日付で,前記3万1500円の支払を拒絶するとともに,和解書の作成に応じるよう求めた(甲17,55,乙25,証人B,弁論の全趣旨)。

(11)  その後,原告と正野弁護士との間では,本件損害填補契約が成立したか否か,正野弁護士が3万1500円を要求する行為が弁護士法26条に違反するか否かについて,見解の相違があって,互いに意見の応酬をしたが決着せず,正野弁護士は,再度関東財務局に原告を告発し,他方,原告は,本件訴訟を提起した(甲17,18,55,乙25,証人B,証人正野弁護士,弁論の全趣旨)。

2 争点(1)について

(1)  前記認定事実のとおり,正野弁護士が原告に宛てて,本件拒絶文書をファックス送信した事実は認められるものの,Cがこの拒絶文書を認識した上で,本件和解書を正野弁護士に送付したとの事実を認めるに足りる証拠はない。そして,Cが,正野弁護士を欺罔して,本件和解金に本件立替金債権を上乗せしようと企てたのであれば,その意図を気づかれないようにするのが自然であるのに,逆にCは,そのことについて正野弁護士の注意を喚起しかねないにもかかわらず,1度ならず2度までも,正野弁護士に対し本件和解金に本件立替金債権を上乗せするよう要請していること(前記認定事実(4),(5))からすれば,Cが,正野弁護士を欺罔して,本件和解金に本件立替金債権を上乗せしようと企てたとは認められない

なお,被告は,Cが本件和解書を送付した際の貼付書面に,本件立替金債権を上乗せした旨の注意書きをしていないことを問題規するが,Cは,本件和解書を送付するに先立って,正野弁護士に対し,2度にわたって本件和解金に本件立替金債権を上乗せするよう要請,しかも,2度目に要請した書面には,増額に異論があるようなら連絡して欲しい旨書き添えていたのであるから,前記認定のとおり,正野弁護士からの本件拒絶文書を目にしていないCとしては,正野弁護士に異論がないものと考えていたとしても何ら不自然ではなく,そのようなCが,本件和解書を送付した際の貼付書面に,本件立替金債権を上乗せした旨の注意書きをしていないからといって,Cが正野弁護士を欺罔しようとしていたとは到底認めるには足りない

(2)  したがって,Cと正野弁護士との間には,単に意思の疎通に問題があっただけであって,Cが正野弁護士を欺罔しようとしたなどという事実は認められない。

(3)  そうすると,Cが正野弁護士を欺罔して,本件和解金を1万1880円増額しようとしたとの正野弁護士の判断(前記認定事実(7))は早計であって,その判断に基づいた正野弁護士の交渉態度に対し,原告としてはいわれのない非難を受けたと考えてもやむを得ないところ,正野弁護士から3万1500円の支払を要求された原告が,それが弁護士法26条に抵触すると考えて前記認定事実(10)及び(11)のように対応したことも,要件や事実関係の検討等に関し,やや早計であるとの感は否めないものの,正野弁護士に対する不法行為を構成する違法性はないものと考えられる。

(4)  以上によれば,その余の点を検討するまでもなく,被告は,原告に対して,原告の詐欺等の不法行為を理由とする損害賠償請求権を自働債権として有しているとは認められない。

3 争点(2)について

(1)  本件和解契約は,契約書の作成には至っていないところ(前記前提事実。弁論の全趣旨),原告のような金融を業とする会社が,和解契約書を作成しない段階での合意で,契約成立として扱うことは異例なことであると考えられること,現に,Bは,和解契約書が作成されるまでは,本件和解契約は確定的に成立していないと考えていたと認められること(証人B),原告が,本件訴訟を提起した当初の請求原因については,一部被告が争っていたところ,原告が訴えを変更して,本件和解契約の成立を請求原因としたことで,請求原因については当事者間に争いがなくなったこと(当裁判所に顕著な事実)からすれば,原告としては,当初,本件和解契約が未だ法的には成立していないものと考えて本件訴訟を提起したが,その後,請求原因についての争いをなくして訴訟を促進させるため,被告の主張に応じて,本件和解契約の成立を請求原因として主張したものと推認される。

(2)  してみると,原告が,本件和解が有効に成立していることを熟知しながら,その事実を秘して本件訴訟を提起したと認めるに足りる証拠はない。なお,債務整理の交渉を開始したからといって,履行遅滞の状態が解消するものではない以上,原告が,本来請求できない遅延損害金を,本件訴訟を提起して取ろうとしたから,本件訴訟提起は訴訟詐欺であるとの主張は,主張自体失当である。

(3)  以上によれば,本件訴訟提起が訴訟詐欺として不法行為に該当すると認めるには足りず,その余の点を検討するまでもなく,それを前提とした被告の相殺の抗弁も理由がない。

4 争点(3)について

(1)  Bは,正野弁護士に対し,3万1500円を支払う旨約しているところ(前記認定事実(9)),Bは,この程度の額についての法定権を原告から授権されていたと認められるから(乙25),原告と正野弁護士との間で,本件損害填補契約が成立したと認められる。

(2)  しかし,この本件損害填補契約が締結された平成14年3月8日の時点では,既に本件和解契約は成立しており(前記前提事実等),残っていたのは和解契約書の作成であったこと,Bは,自腹を切って3万1500円(現金3万1000円,印紙500円。)を支払ったのは,正野弁護士に和解契約書の作成に応じてもらうためであったと述べていること(証人B),正野弁護士は,原告に3万1500円を支払うよう要求したのは,原告が,正野弁護士を欺罔しようとしたと判断していたため(前記認定事実),その反省を促そうと考えたからであり,それ以上に本件和解契約停止条件とすることを明示で要求した事実は認められないこと(乙25,証人正野弁護士)からすれば,本件損害填補契約の履行が,和解契約書を作成するための事実上の前提とされていたことが推認されるものの、それ以上に,本件損害填補契約の履行を,本件和解契約停止条件とする旨の合意までが成立していたと認めるに足りる証拠はない。

5 争点(5)について

(1)  被告は,本件和解契約によれば,平成14年1月末日及び同年2月末日に,3万円ずつの支払をすべきところ,いずれの支払も怠っていることから,被告は,平成14年2月末日の経過によって,期限の利益を喪失したと認められる。

(2)  なお,被告は,本件和解契約について和解契約書が作成されておらず,原告は,本件和解金に1万1880円を上乗せして支払うよう要求し続けていたことから,被告には,本件和解契約に基づく債務の履行義務が生じる余地がない旨主張するが,原告に受領拒絶などの事実があった旨の主張がない以上,本件和解契約が既に成立している(前記前提事実)にもかかわらず,被告がその契約に基づく債務の履行ないしその提供をしなくても遅滞に陥らないという法的理由はなく,被告の前記主張は,主張自体失当である。また,被告主張の事実を前提としても,原告が,本件和解契約に基づく期限の利益喪失を主張することが,信義則に反するとも認められない。

6 結論

以上によれば,その余の点を検討するまでもなく,原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し,主文のとおり判決する。

 

 

 

東京高等裁判所平成24年(行ケ)第14号 

平成25年09月18日 判決

 

原告 弁護士野武興一

被告 日本弁護士連合会、同代表者会長 山岸憲司

同訴訟代理人弁護士 笠原健司、田井野美穂

 

主文

 

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

 

事実及び理由

 

第一 請求の趣旨

 被告が、原告に対し、平成二四年四月一一日付でした審査請求(平成二三年懲(審)第一〇号審査請求事案)を棄却する旨の裁決を取り消す。

 

第二 事案の概要

一 本件は、茨城県弁護士会(以下「原弁護士会」という。)に所属する弁護士である原告が平成二三年五月二六日付で業務停止二月の懲戒処分(以下「本件懲戒処分」という。)を受け、弁護士法(以下「法」という。)五九条に基づき被告に対し審査請求をしたところ、平成二四年四月一一日付でこれを棄却する旨の裁決がされたため、法六一条に基づきその裁決の取消しを求める事案である。

 二 前提事実(争いのない事実並びに証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)

(1) 有限会社乙山(以下「懲戒請求者」という。)は、平成二一年一〇月八日付で原弁護士会に対し、同会所属弁護士である原告を懲戒することを求めた。

(2) 原弁護士会の懲戒委員会は、平成二三年五月一八日、法五八条五項に基づき、原告を業務停止二月の懲戒処分とするのが相当である旨の議決をした。

上記議決の骨子は次のとおりである。

ア 原告が受任した株式会社丙川(以下「丙川社」という。)の債務整理事件(以下「本件債務整理事件」という。)において、丙川社の所有する不動産を任意売却し、その代金二億八〇〇〇万円から弁護士費用四二〇万円(ただしその後変遷)を受領したのみならず、原告の息子(二男)である甲野松夫(以下「松夫」という。)が代表者で、原告も監査役を務める株式会社丁原(以下「丁原社」という。)を不動産仲介業者とし、丁原社が七四〇万二五〇〇円の仲介手数料を受領した。

イ 債務整理において資産と負債の状況を迅速かつ正確に把握し、資産の確保を図り事案にふさわしい処理方針を立てて実行するという、倒産事件を受任した弁護士が当然行うべき基本的な職務遂行を怠り、数千万円の売掛金があることを認識しながら、これを回収する努力をせず、債権者集会等の債権者に対する説明の機会も設けず、事件処理が進んでいない。

ウ 原告は、受任していない丙川社の代表者である戊田竹夫(以下「戊田」という。)の債務整理についてもこれを受任した旨の受任通知書(乙二〇ないし二二、以下「本件受任通知書」という。)を発送した。

エ 原告は、任意の債務整理事件で本来公正であるべき債務者代理人としての立場を忘れ、原告自身もしくはその関係者の利益を図ろうとしており、債権者の利益、立場を無視していると批判されてもやむを得ない事情が多々見受けられる。したがって、法五六条一項の「品位を失うべき非行」があったと判断せざるを得ない。

オ 本件は単なる事件処理の遅滞といった事案ではなく、弁護士費用の収受に関連する非行であること、多数の債権者の利益を害するおそれのある事案であること等を考慮し、業務停止二月に処するのを相当と判断する。

(3) 原弁護士会は、懲戒委員会の上記議決を受けて、同月二六日、法五八条五項に基づき、原告に対し、業務停止二月の懲戒処分(本件懲戒処分)をし、原告は、同日、本件懲戒処分の懲戒書正本を受領した。

(4) 原告は、同年六月二八日、被告に対し、本件懲戒処分を不服として行政不服審査法による審査請求(平成二三年懲(審)第一〇号審査請求事案、以下「本件審査請求」という。)をした。

(5) 被告の懲戒委員会は、平成二四年四月九日、本件審査請求を棄却するのを相当とする旨の議決をした。

(6) 被告は、被告の懲戒委員会の議決を受けて、同月一一日、本件審査請求を棄却する旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をし、その裁決書は同月一二日、原告に交付された。

 三 争点及びこれに対する当事者の主張

(1) 手続の不当

ア 原告の主張

(ア) 原告は、丙川社の売掛金債権について、銀行入金分については、現金払いへの変更も打診したが、月末を迎えており、売掛相手先が金融機関へ支払委託済で変更処理不可とのことで、全て銀行に入金されたのであり、従前の口座に入金させるままに放置していたわけではない。

 原弁護士会の懲戒委員会は、この点について調査することなく、従前の口座に入金させるままに放置していたと判断しており、不当である。

(イ) 金融機関は、任意整理を希望していたものであるが、原弁護士会の懲戒委員会は、この点について金融機関に照会調査しないまま、その事実の有無は明らかでないと判断しており、不当である。

(ウ) 原告は、弁護士費用について、東日本銀行の担当者が丁原社の仲介手数料名目で差し引くことを了解したと弁明したが、原弁護士会の懲戒委員会は、この点について金融機関に照会調査しないまま、その弁明を疑わしいとしており、不当である。

イ 被告の主張

(ア) 原弁護士会の懲戒委員会は、ある事実関係が懲戒事由に該当するか否か、該当する場合は、懲戒の可否及び処分内容を判断する限度で調査すれば足りるのであって、弁明の全てについて調査を行い、事実の有無を明らかにする必要はない。

(イ) 原告の主張する点は、いずれも懲戒処分の対象となった非違行為を構成する事実の認定及び評価に影響を与えるものではなく、これらについて原弁護士会の懲戒委員会が金融機関等に事実の有無を照会しなかったとしても、調査が尽くされなかったということはできない。

 (2) 事実認定の誤り

ア 原告の主張

(ア) 本件受任通知書

 本件受任通知書は、戊田に対する懲戒請求者からの暴力的行為を防ぐ目的であった。

 また、会社倒産に伴う会社の債務整理は、経営責任が代表者である戊田にも生じ、必然的に代表取締役債務整理を含むものであるから、その旨通知したものであり、戊田の純粋に個人的な債務整理についての通知ではない。

 仮に、本件受任通知書の記載が虚偽だとしても、債権者に取り返しのつかない損失を被らせることはなかった。

(イ) 事件処理

 丙川社の債務整理受任後、売掛金の有無・内容について調査し、回収の可否についても判断すべく努力していた。

 また、債権者集会を開催しても混乱を招くのは必至であった。そして、債権調査を実施して債務の状況の把握に努め、個別の問い合わせに対しては、状況説明を行っていたのであり、一般債権者を軽視した対応をとったことはない。

(ウ) 弁護士費用

 大口債権者である銀行が弁護士費用(着手金一五〇〇万円)の控除を認めなかったため、敢えて不動産仲介手数料として請求した。銀行は、弁護士費用及び仲介手数料を控除することを認めているのであって、正当なものである。

 丁原社は現に不動産仲介業務を行っており、松夫が経営する会社か否かは関係ない。仮に、仲介手数料を受け取らなければ、その分は銀行に対する債務返済に充てられるのであって、一般債権者の利益を無視したことにならない。

イ 被告の主張

(ア) 本件受任通知書

 戊田個人からは債務整理について受任していないのであるから、債権者に受任通知を送付することは許されない。暴力を防ぐ必要があるならば、その旨受任通知書に記載すれば足りるが、本件受任通知書には、債務者に対する暴力行為に触れた記述はない。

 本件受任通知書では、戊田が会社代表者として負担した債務に限定しておらず、原告の主張は、後付けの言い訳である。

 本件受任通知書の送付自体が、債権者を惑わす行為であって、債権者の具体的な損害の発生の有無とは関係ない。

(イ) 事件処理

 原告は、丙川社の売掛債権について取引先に対する内容の問合わせ等を行っておらず、また、その回収について取引先との交渉を行った事実はなく、原告が調査を尽くして回収の努力をしたということはできない。

 混乱が予想されるため債権者集会の開催を躊躇したとしても、文書で状況の報告や方針についての意見聴取を行うことは可能であり、原告の対応は一般債権者を軽視したものである。

(ウ) 弁護士費用

 丁原社が取得した仲介手数料は、原告の弁護士費用を確保するために本来得られないはずの収入を潜脱的な方法で取得したものである。また、丁原社が取得した仲介手数料が、同社の収入として扱われているとすれば、同社は、本来発生しない手数料を得たことになり、原告が身内の関係する会社の利益を図ったことになる。

 (3) 裁量権の濫用

ア 原告の主張

 本件懲戒処分は、事実関係の重要な部分につき事実の基礎を欠き、また、長年にわたり原告が築き上げてきた弁護士としての名誉と信用を一挙に失墜せしめるものであり、極めて苛酷な処分というべきであって、被告が裁量権の範囲を超え、又は裁量権を濫用して行ったものであるから、違法である。

イ 被告の主張

 弁護士会裁量権の行使としての懲戒処分は、全く事実の基礎を欠くか、又は社会通念上著しく妥当性を欠き、裁量権の範囲を超え又は裁量権を濫用してされたと認められる場合に限り、違法となる。

 原告の行為は、任意の債務整理事件において公正であるべき債務者代理人としての立場を忘れて、原告自身もしくはその関係者の利益を図ろうとしており、債権者の利益・立場を無視したものであると言わざるを得ず、その責任は重大である。したがって、本件が多数の債権者の利益を害するおそれのある事案であること等も考慮すると、業務停止二月に処することとした原弁護士会懲戒委員会及び本件裁決の判断は妥当であり、裁量権の逸脱も濫用も認められない。

 

第三 当裁判所の判断

一 事実経過等

前提事実並びに≪証拠略≫によると以下の事実が認められる。

(1) 丙川社は、平成二〇年の年末ころから懲戒請求者の代理人と称する甲田梅夫(以下「甲田」という。)らから借金の返済を迫られるようになり、年明けには事業資金の資金繰りにも窮することとなった。そのため、丙川社の代表者である戊田は、平成二一年一月初旬ころ、原告に丙川社の負債について相談し、原告は、その後、破産申立てを視野に入れた債務整理事件(本件債務整理事件)として、同社から依頼を受けた。

(2) 戊田は、原告に対し、一億円程度の売掛金があることを伝え、売掛金の資料や顧客台帳のようなものを渡したが、詳細なものではなく、また、丙川社の平成二〇年五月一日から同年一一月三〇日までの事業年度分の確定申告書(甲五二)は渡していなかった。

(3) 原告は、懲戒請求者、懲戒請求者の代表者(取締役)である乙野春夫(以下「乙野」という。)及び懲戒請求者の関連会社である株式会社丙山(以下「丙山社」という。)に対して、平成二一年一月二三日付通知書(本件受任通知書)を送付し、原告が丙川社と戊田の債務整理を受任したこと及び今後債務者らへの請求行為等を禁止することを通知した。しかし、原告は、戊田個人の債務整理を受任してはいなかった。

 なお、本件受任通知書には、債務者に対する暴力行為に触れた記述や戊田が会社代表者として負担した債務に限定して受任した旨の記載はない。

(4) 丙川社は、平成二一年二月五日付で手形交換所の取引停止処分を受けて事実上倒産した。

 原告は、懲戒請求者、乙野及び丙山社に対し、同年二月一四日付通知書を送付し、丙川社及び戊田から債務整理を受任した旨を再度通知するとともに、債権調査への協力を求めた。

(5) 丙川社が所有する水戸市柳町≪番地略≫所在のマンション(以下「柳町のマンション」という。)には、東日本銀行根抵当権が設定されていた。

 平成二一年一一月三日、柳町のマンションが代金二億八〇〇〇万円で株式会社丁川に売却され、同日付で不動産売買契約書(甲一二)が作成された。

 上記売買代金二億八〇〇〇万円は同年一一月三〇日までに支払いがされ、約二億五〇〇〇万円が、東日本銀行の債務の弁済に充てられた。また、売買代金の内金四二〇万円は、弁護士費用の内金として原告が受領し、内金八八八万三〇〇〇円は、不動産仲介手数料として、仲介業者である訴外丁原社と有限会社戊原(以下「戊原社」という。)が受領し、その内訳は、丁原社が七四〇万二五〇〇円、戊原社が一四八万〇五〇〇円であった。

 丁原社の仲介手数料は、銀行が売買代金から原告の弁護士費用(着手金一五〇〇万円)の控除を認めなかったため、不動産仲介手数料として受領した。

(6) 平成二一年一一月一九日、丙川社が所有する水戸市白梅≪番地略≫所在の土地及び同土地上の建物(以下、土地建物併せて「本社ビル」という。)が、代金二五〇〇万円で株式会社甲川に売却され、同日付で土地建物売買契約書(甲一〇)が作成された。

 売買代金二五〇〇万円の内金八五万〇五〇〇円は、不動産仲介手数料として丁原社に支払われた。

(7) 丁原社は、原告の二男である松夫が代表取締役を務め、原告も監査役として名を連ねる会社である。

 また、松夫は、丁原社の事務所に出勤して、打ち合わせ会議や営業等に従事する一方で、原告の事務所にも毎日出勤して、弁護士補助業務にも従事しており、本件債務整理事件の事務担当であった。

(8) 原告は、平成二三年四月二一日、原弁護士会の懲戒委員会に資産目録(甲三八、乙一九)を提出した。

 上記資産目録には、合計七一二六万四一七六円の売掛金がある旨記載されているが、それらは、税務署差押、銀行入金及び倒産のいずれかに分類され、今後回収可能な売掛金はない。

(9) 丙川社の平成二〇年五月一日から同年一一月三〇日までの事業年度分の確定申告書(甲五二)によると、東日本銀行からの借入金は約五億五九〇〇万円、常陽銀行からの借入金は約二億七〇〇〇万円、足利銀行からの借入金は約一億〇六〇〇万円等となっている。

 原告が上記確定申告書を入手したのは、平成二一年末か平成二二年初であった。

(10) 丙川社の債権者は一〇〇名を超えるが、これまで、丙川社の債権者集会が開催されたことはない。

二 懲戒事由該当性及び懲戒の相当性

(1) 弁護士に対する所属弁護士会及び被告(以下、両者を含む意味で「弁護士会」という。)による懲戒の制度は、弁護士会の自主性や自律性を重んじ、弁護士会の弁護士に対する指導監督作用の一環として設けられたものである。また、懲戒の可否、程度等の判断においては、懲戒事由の内容、被害の有無や程度、これに対する社会的評価、被処分者に与える影響、弁護士の使命の重要性、職務の社会性等の諸般の事情を総合的に考慮することが必要である。したがって、ある事実関係が「品位を失うべき非行」といった弁護士に対する懲戒事由に該当するかどうか、また、該当するとした場合に懲戒するか否か、懲戒するとしてどのような処分を選択するかについては、弁護士会の合理的な裁量にゆだねられているものと解され、弁護士会裁量権の行使としての懲戒処分は、全く事実の基礎を欠くか、又は社会通念上著しく妥当性を欠き、裁量権の範囲を超え又は裁量権を濫用してされたと認められる場合に限り、違法となるというべきである(最高裁判所平成一八年九月一四日第一小法廷判決・裁判集民事二二一号八七頁)。

 そして、本件債務整理事件において、原告は、債務者である依頼者丙川社の代理人である弁護士として、業務遂行に当たり、依頼者の利益を図るべき職務上の義務があるとともに、関係する第三者である債権者等の権利及び公益にも配慮して、弁護士に要請される倫理を遵守しつつ誠実かつ公正に業務を行う義務を有するものと解される。

(2) 以上のような観点から、一で認定した本件事実関係に基づき懲戒事由該当性等について検討する。

ア 本件受任通知書

(ア) 貸金業者は、債務者等が債務の処理を弁護士等に委任し、弁護士等から書面によりその旨及び債務整理についての協力依頼の旨の通知(以下「受任通知」という。)がされた場合において、正当な理由がないのに、債務者等に対し、債務の弁済を要求すること等が禁止されており(貸金業法二一条一項九号参照)、また、貸金業者でない債権者についても、上記の受任通知があった場合には、これに誠実に対応し、合理的な期間は債権の取立てのほか強制執行等の行動に出ることを自制すべき注意義務を負担するものと解される。そうすると、弁護士が、債権者に対し、債務者から受任した事実がないのに、債務整理等を受任した旨事実と異なる受任通知を発した場合には、債権者は、適法な取り立ての機会を不当に制限され、その結果債権を回収することができず、損失を被る可能性があると考えられる。

 したがって、原告が戊田個人の債務整理を受任していないにもかかわらず、これを受任した旨記載した本件受任通知書を送付したことは、弁護士として第三者である債権者等の権利に配慮して誠実かつ公正に業務を行う義務に違反し、多数の債権者の利益を害するおそれを招いたものというべきである。

(イ) 原告は、本件受任通知書が戊田に対する懲戒請求者からの暴力的行為を防ぐ目的であった旨主張するが、上記認定のとおり、原告は戊田個人の債務整理事件を受任していないのであるから、そもそも本件受任通知を送付する前提を欠く。また、上記認定のとおり本件受任通知書には、戊田に対する暴力禁止に触れた記述はなく、その目的のためにも不十分であることは明らかである。

 また、原告は、会社倒産に伴う会社の債務整理は経営責任が代表者である戊田にも生じ、必然的に代表取締役債務整理を含むものであるから、その旨通知したものであり、戊田の純粋に個人的な債務整理についての通知ではない旨主張する。しかし、本件受任通知書では、前記認定のとおり原告の受任の範囲を戊田が会社代表者として負担した債務に限定していないのであって、その趣旨を読み取ることはできず、原告の上記主張は採用することはできない。

 さらに、原告は、債権者に取り返しのつかない損失を被らせることはなかった旨主張するが、このことは、事実に反する受任通知を発したことを正当化するものではない。

イ 事件処理

(ア) 原告には債務者である依頼者丙川社の利益を図るべき職務上の義務があるとともに、関係する第三者である債権者等の権利及び公益にも配慮して、誠実かつ公正に業務を行う義務があるところ、その義務の具体化として、債権者に対する配当の原資となるべき資産の維持、増殖等に努めることが求められていたということができる。

 しかし、原告は、上記認定のとおり、売掛金を把握した上で、その回収をするという基本的事務を行うことを怠り、的確で公正な事件処理のために債務整理に着手した後できるだけ早期に作成すべき債権者一覧表、売掛金一覧を含む資産目録を速やかに作成せず、また、売掛金の回収をしていないのであって、一般債権者及び債務者の利益を図るべき職務上の義務を怠ったというほかない。また、債権者集会を開催していないことも、同様に一般債権者の利益を軽視することになるものというべきである。

(イ) なお、甲四には原告が債権者一覧表を平成二一年一月から三月に、資産目録を平成二一年二月から四月に作成した旨の記載があるが、上記認定のとおり、その当時、詳細な売掛金に関する資料が戊田から渡されていなかったこと、原告が確定申告書(甲五二)を入手したのは、平成二一年末か平成二二年初であったことが認められ、原告が債権者一覧表を平成二一年一月から三月に、資産目録を平成二一年二月から四月に作成することができたとは解されない。もっとも、戊田が原告に対し関係資料を交付しなかったことが事務遅滞の一因となっていることが窺われ、この点は、事情として酌むべき面があるが、弁護士としては、戊田に対し然るべき指導・指示をして速やかに資産目録を調製すべき責務があったことは明らかである。

(ウ) 原告は、丙川社の売掛金債権について、銀行入金分については、現金払いへの変更も打診したが、月末を迎えており、売掛相手先が金融機関へ支払委託済で変更処理不可とのことで、全て銀行に入金されたのであり、従前の口座に入金させるままに放置していたわけではない旨主張する。これは、資産目録に記載された売掛金債権のうち、従来の入金用口座に入金されたものがあり、原告によると平成二二年一〇月には銀行から相殺の対象とされたものであるところ、このような事態を避けるためには、銀行口座の解約等の対策を取ることも考えられるが、そのような措置を検討することのないまま放置したのであるから、その回収を怠ったと解されてもやむを得ないところである。

 なお、原告は、原弁護士会の懲戒委員会が、この点について金融機関に調査しないことを不当である旨主張するが、上記のとおり原告の主張する事実の存否にかかわらず、売掛金の回収を怠ったと認められるのであり、これを不当ということはできない。

(エ) 原告は、債権者集会を開催しても混乱を招くのは必至であり、他方、債権調査を実施して債務の状況の把握に努め、個別の問い合わせに対しては、状況説明を行っていたのであり、一般債権者を軽視した対応をとったことはない旨主張する。そこで判断するに、債権者集会の混乱が予想されるためその開催がためらわれる状況であったかについては必ずしも明らかではないが、仮にそうであったとしても、本件における個別の問い合わせに対する状況説明が債権者に対する説明として十分なものといえるか疑問が残る。また、債権者集会を開催しない場合でも、その代替として、全ての債権者に対し文書で状況報告や方針についての意見聴取を行うことは可能であって、本件全証拠によってもこれらの対応がなされていたとは認められないから、原告の対応は一般債権者を軽視したものとの評価を免れない。

(オ) さらに、原告は、金融機関が任意整理を希望していたものであり、原弁護士会の懲戒委員会がこの点について金融機関に照会調査しないのは不当である旨主張する。しかし、原弁護士会の懲戒委員会は、原告が、任意整理の方針を選択したこと自体を非違行為としているわけではない。金融機関が任意整理を希望していたか否かは、本件債務整理事件の処理の適否に関する認定及び判断に影響を及ぼすものでないから、金融機関への調査がされていないとしても、これを不当ということはできない。

ウ 弁護士費用

(ア) 上記認定によれば、原告は柳町のマンションの売却代金から弁護士費用内金四二〇万円を受領し、丁原社が柳町のマンション及び本社ビルの売却代金から仲介手数料として合計八二五万三〇〇〇円を受領しているが、丁原社は、原告の二男である松夫が代表取締役を務め、原告も監査役として名を連ねる会社であり、このような処理は、原告の弁護士費用を確保するためにされたものである。そうすると、丁原社が取得した仲介手数料は、原告の弁護士費用を確保するために、本来得られないはずの収入を潜脱的な方法で取得したことになり、また、その仲介手数料が、丁原社の収入として扱われているとすれば、丁原社は、本来発生しない手数料を得たことになり、原告が身内の関係する会社の利益を図ったとみられてもやむを得ないと解される。このことは、著しく不明朗な方法により原告自身又は関係者の利益を図ったとみるほかないのであって、弁護士に要請される品位保持の観点から極めて問題であることは明らかである。

(イ) 原告は、銀行が弁護士費用及び仲介手数料を控除することを認めているのであって、正当なものである旨、丁原社は現に不動産仲介業務を行っており、松夫が経営する会社か否かは関係ない旨、仲介手数料を受け取らなければ、その分は銀行に対する債務返済に充てられるのであって、一般債権者の利益を無視したことにならない旨主張するが、いずれも上記認定・評価を左右するものということはできない。

 また、原告は、弁護士費用について、東日本銀行の担当者が丁原社の仲介手数料名目で差し引くことを了解したと弁明したが、原弁護士会の懲戒委員会は、この点について金融機関に照会調査しないまま、その弁明を疑わしいとしており、不当である旨主張する。しかし、金融機関の了解のあることは、上記認定・評価を左右するものではない以上、金融機関への調査がされていないとしても、これを不当ということはできない。

 (3) 小括

 以上のとおり、原告の上記行為は、著しく相当性を欠き、弁護士としての品位を失うべき非行に該当するものというべきである。

 そして、以上によれば、被告及び被告懲戒委員会が是認する原弁護士会の判断は、当裁判所の認定及び判断と整合しており誤りはない。そこで、処分の程度についてみるに、本件債務整理事件において、丙川社の代表者である戊田が売掛金についての詳細な資料を原告に渡さなかったことが、原告が遂行すべき事務の遅滞につながった一因であること、いささか面倒な背景事情のある案件であったこと、そのこともあって戊田は原告の仕事ぶりに一定の感謝の念を抱いていること等原告に酌むべき事情もみられる。しかしながら、これらを最大限考慮しても、本件非違行為の性質が単なる事件処理の遅滞に止らず、弁護士費用の収受に関するものを含み、また、多数の債権者の利益を害するおそれのあるものであることに鑑みると、業務停止二月という本件懲戒処分が社会通念上著しく妥当性を欠くとは解されない。したがって、本件裁決については、事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠き、裁量の範囲を超え又は裁量権を濫用してされたと認めるべき点は見当たらず、これを違法とする理由はない。

三 結論

以上によると、本件裁決は正当であって、原告の本件請求は理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。

 

第4特別部

 (裁判長裁判官 加藤新太郎 裁判官 河田泰常 裁判官竹内純一は、てん補につき署名押印することができない。裁判長裁判官 加藤新太郎)